高校やめました。

中2〜不登校になった16歳の自分です。
正直に言えないこの気持ちを書いていきます。
全国の悩んでいる方、そして自分の母に気持ちが伝わる事を願って。

小さい頃の自分

勉強も運動もできる明るい子供でした。


癇癪を起こし、暴れる子供でした。


幼稚園は無遅刻無欠席で(1人だけ)表彰され、

明るくて運動も出来る(某有名個人競技県3位入賞)。

授業中も手を上げまくってテストも100点。

中1考査が5教科平均450点。


自分の家には蹴り破った壁、ボコボコになったドア、壊れたドアノブ・・・

思い出せない頃から、小学校中学年まで続きました。

「施設」「癇癪」「精神科」

いつの間にか覚えていました。


母が自慢の子だと褒めてくれました。


母を自殺寸前まで追い込みました。




当時の自分は母に構ってもらう事が全てでした。

結果を残せば笑いかけてくれました。

地団駄を踏み、壁を叩けば母が振り向いてくれました。


嘘を吐いて評価してもらったり、人と違うことをして気をひこうとしていました。

本当に手のかかる子でした。


その所為か、兄姉は自分から距離を置きました。

今でも埋まることのない溝となっています。


父は仕事が忙しく、家にいることが稀でした。

とても優しく、今でも仲の良い父ですが、怒ると怖い父でした。

母も仕事が忙しく、帰って来るのは夜中の1:00過ぎでした。


自分は両親に可愛がってもらえなかった。


違います。


充分愛は感じていました。


お弁当作ってくれたり風邪ひいたら看病してくれたり、

施設にも病院にも入れずに対応してくれた。

本当にこれでもかというほど感じていました。




こんな子供時代(誕生〜中1まで)でした。

あまりいらない部分ですが、経緯を話す上で一応。

今こうやって書いていても罪悪感しかないです。


次から本編(不登校)の話に入ろうと思います。

初めまして。

皆さん初めまして。


まずは自分の自己紹介からはいろうと思います。


mと申します。

不登校になって約2年目の16歳です。


書いてて思ったのですが、

世界に広がるインターネットにドヤ顔で公開出来るような自分の個人情報は

この程度しかありません。申し訳ありません。


今は個人情報の公開なんてとてもとても危険ですから。

誰がどのようにどうやって使うのか分かりませんから。

(ブログを始めた自分が言う台詞ではないですが)

皆さまも気を付けて下さい。


話がそれましたね。


自分は上に書いたように、


中学2年生から学校を休むようになりました。

中学3年生になり、完全なる不登校に成り下がりました。

高校1年生になり、そして高校を辞めました。


中1まではこんな風になってしまうなんて思ってもいませんでした。


このブログではそうなってしまった過程と自分なりの考えをまとめたいと思います。


少しでも多くの困ってる方の階段の一部になれればいいと思います。


飽きっぽい性格と語彙力の欠片もない未熟な文で、至らない点ばかりだと思いますが、

自分なりにやっていこうと思うのでよろしくお願いします。