勉強も運動もできる明るい子供でした。
癇癪を起こし、暴れる子供でした。
幼稚園は無遅刻無欠席で(1人だけ)表彰され、
明るくて運動も出来る(某有名個人競技県3位入賞)。
授業中も手を上げまくってテストも100点。
中1考査が5教科平均450点。
自分の家には蹴り破った壁、ボコボコになったドア、壊れたドアノブ・・・
思い出せない頃から、小学校中学年まで続きました。
「施設」「癇癪」「精神科」
いつの間にか覚えていました。
母が自慢の子だと褒めてくれました。
母を自殺寸前まで追い込みました。
当時の自分は母に構ってもらう事が全てでした。
結果を残せば笑いかけてくれました。
地団駄を踏み、壁を叩けば母が振り向いてくれました。
嘘を吐いて評価してもらったり、人と違うことをして気をひこうとしていました。
本当に手のかかる子でした。
その所為か、兄姉は自分から距離を置きました。
今でも埋まることのない溝となっています。
父は仕事が忙しく、家にいることが稀でした。
とても優しく、今でも仲の良い父ですが、怒ると怖い父でした。
母も仕事が忙しく、帰って来るのは夜中の1:00過ぎでした。
自分は両親に可愛がってもらえなかった。
違います。
充分愛は感じていました。
お弁当作ってくれたり風邪ひいたら看病してくれたり、
施設にも病院にも入れずに対応してくれた。
本当にこれでもかというほど感じていました。
こんな子供時代(誕生〜中1まで)でした。
あまりいらない部分ですが、経緯を話す上で一応。
今こうやって書いていても罪悪感しかないです。
次から本編(不登校)の話に入ろうと思います。